明けた新年 初仕事2025/01/01 20:49

 新年が明けたが、自分が無事に年を越せたことに感謝するも、特にめでたい感じもない。敬愛する人が何人か亡くなって、それが響いているかな。それでなくても、パレスチナの虐殺はよ。それも様々な距離感で起きていることの一例に過ぎない。
 とはいえ、大晦日までの2024年の師走は、何かと楽しく過ごすことができた。本日元旦は終日家にいる。いい気分だ。
 オレンジという色が捨てがたいものの、やや持て余したクッキーの缶を、コレクションボックスにした。最初に収まるのは、薬の日付から看取りの日まで約二週間を残す、キジトラさんちゃんの薬であった。さほどキジルシでもない。

ジャム(猫)の話(その1)2024/02/03 20:39

 猫のジャムをうちに迎えるきっかけを作ってくれた知り合いに、偶然再会した。夜の9時近く、前の住まいに近いコンビニにコーヒーを買いに入ったらKさんがいた。だからジャムのことを思い出そう。
 ジャムは9歳まで一緒に過ごした家族と、ある事情で別れることになり、その家族から飼い猫について相談されたのが、Kさんの夫だった。私のうちにいるのが全て外にいた子ばかりで、猫の保護に多少詳しいと知っていたから、私に話がきた。2005年の年末くらいだったろうか。
 最初は里親を探すという依頼だけだったが、落ち着かない家族の中できちんと世話をされていない様子が窺えたから、とにかく私が預かることになった。預かるにあたっては基本の健康診断とワクチンを済ませてもらった。
 で、いよいようちに、ジャムの飼い主の夫という人が猫入りキャリーと新しいトイレキットを持ってやってきた。玄関にキャリーとトイレの箱をまず置いて、健康診断の検査結果とワクチン済み証明を見せてくれた。それを受け取って確認して、さて猫の入ったキャリーを開ける段となった。
 飼い主がジャム〜と優しく声をかけながら開けると、ジャム本人が出てきたが、いきなり驚かされたのは聞いたこともないほどの物凄い唸り声だった。そんな唸り声、すでに4匹いる猫メンバーからは聞いたことがなかった。音量もそこそこあった。私に言わせれば猛獣だった。
 猛獣は丸くてもっちり全体が太くて足が短かった。それが恐ろしい唸り声をあげながら、急いでいるふうには見えないが、彼女なりに急いで、開いている扉の方へトコトコと向かい、部屋に入り部屋の奥まで行ってカーテンの後ろに隠れた。隠れてなお唸り声は止まない。
 元の飼い主は苦く笑いながらあれれという感じで、目の前にはいないジャムにお別れを呟き、人間同士はきちんとお礼やら何やら言い合ってお仕舞いになった。かわいいですねというお世辞もあらばこそ、相手信じなかったろうな。
 元飼い主が帰ってからカーテンの裏にいるジャムに声をかけると、唸り声はいっそう凄みが加わった。放っておいた方が良さそうなので、しばらくそのままにした。
 先住猫たちはやはり警戒していただろうか。だいぶ記憶が薄れている。興味は示したと思うが、みんながいる部屋とは違う部屋に入っているので問題はなかった。
 しばらくしてからジャムのいるところを偵察した。呼びかけるとやはり唸り声が返ってきた。かわいそうに不安でいっぱいだったろう。また私は部屋から退散した。
 時間をおいて再びジャムを見にいく。と、驚いた。部屋の床に置きっぱなしだった、未開封のロイヤルカナンの2Kgの袋がどてっぱらを噛みちぎられて、中身がこぼれ出ている。ジャムは私の気配を察して、一足早くカーテンの後ろに隠れてしまった。唸り声は途切れる時もあるが、思い出したように大音量になる。
 キャットフードの袋の材質はアルミだ。未開封の袋を食いちぎるってどんなか。これは、健康診断の検査結果に問題が現れていた。白血球の数値が極端に高かったのだ。そういえばと後から心当たるものがあった。その理由が副食の缶詰ばかり食べさせていたからだと医師から言われたそうで、栄養の偏りによるものだということだった。

続く

「アレックスと私」2020/10/09 21:48

アレックスとは、あるヨウムという大型インコに付けられた名前だ。
カテゴリに「ペット」も入れたけど、アレックスはアメリカの大学の研究室で研究対象として飼われていたから、厳密にはペットではない。知り合いがヨウムを飼い始めたところから興味が湧いて、大学から出ている研究書の翻訳本は何度か図書館で借りたことがある。
ヨウムはとても賢い鳥で、アレックスはそれを十分に証明してみせた。
「アレックスと私」はタイトルから察せられる通り、研究から離れた個人的な関係を描いている。あのアレックスのこと!と、この本を教えてもらって、すぐに飛びついて買ってしまったが、読み始めることができない。
彼が思うより早く死んでしまったことを思い出した瞬間に読めなくなった。
愛していたものが死んでしまった悲しみを、この書き手と共有することが辛い。
後書きから知ったがこの本は大分前に別の出版社から出ていたらしい。その時の方が私自身には読むための体力はあったな。

サンドラはね。2020/03/11 21:00

2月14日に死にました。
私のそばにずっと横たわっていたサンドラは、バレンタインデーの夜に死にました。
私の最後の猫が逝きました。
とても小さな出来事です。

ハナ2018/02/10 02:17

2017年12月22日早朝に息を引き取る。
未ださよならと言い難く。

ペットロスなのだ2018/02/09 14:26

はっきり認めるがペットロスなのだ。
5匹いた猫が2匹になって寂しくなったという問題では無い。
死んでいい子がいた訳では断じて無い。
今いる2匹では駄目なのだと言う訳でも断じて無い。
ただただハナのいないことが辛くて仕方ないのだ。
ハナは「優しくて私にいつも寄り添ってくれていた猫」というのではない。寒いから布団に潜り込んで腕まくらで寝るのが最上の心地よさだったからいつも私の横にいた。
私の具合が悪くてもご飯を早く出せとうるさかった。
私が泣いていてもうぜえという顔をしていた。
用があって膝から降ろすとがっかりするより怒っていたし、早く戻れと文句ばっかり言っていた。
そっちがそうならこっちもと対等に喧嘩していた。
ハナが若い時は何度も顔をぶたれた。
私の怒った声の調子にハナは怯えなかった、どころか反論してきた。
ハナの背中に耳を押し付けて最期の鼓動を聴き届けようと思ったのに最後の数時間で私は看護疲れに耐えきれず寝てしまった。
ハナは私のベッドのど真ん中を占領していたのに二度もベッドから落ちていてその二度目は既に硬直が始まっている状態だった。
一度目の落下の時は死んでいるかと思ったが息をしていた。抱き上げてベッドの真ん中に置いて私も横になり、また耳を背中に押し付けた。今度は眠る訳にはいかないし眠れるはずもないと思ったのに。
毎晩ハナに話しかけていた。なぜ死んでしまうのかと責めていた。
今だにそこから逃れられない。ハナは横たわったまま私の顔をじっと見ていた。何か答えていたんだろうか。
可哀想なのは多分ハナの方だ。

備忘録の意味を成さない今日この頃。2017/08/05 04:17

死にそうな猫を慌てて病院に連れて行くとか、それで解決したわけでなくて、持病を抱えているのを薬の投与や何日か毎の点滴通いとかで小康状態を保っておくなんてやったりしてると、隙間を縫ってどこか出かけて印象を書き残したいと思ってもつい書き忘れて何日も何週も経ってしまうんだな。

その当の猫は薬や点滴のお陰で食欲も出て体重が増え、見た目は元気になった。高齢猫ならかなりの率で罹患する腎臓トラブルなのでこの治療を続けて行くしかない。進行を食い止めるまでは行かないがある程度抑えて行くというものだ。
とにかく無理のない治療法で命が延びた。
頑張れ、年寄り猫。

先日の劇団☆新感線の舞台を観に行ったときの豊洲の風景。
涼しげだがぬるく湿っぽい風が吹いていた夕暮れ時。

東京は雪2016/11/24 23:40

今日は非常に寒く雪が降った。
50何年ぶりかの東京の11月の雪だそうで。
終日家の中。
昨日は実家の母がうちの中で転んだと言うので駆けつけて状況を見て来た。高齢なので骨折を心配したが打撲で済んだのでホッとした。
今日何かあって雪の中を出かけるとなると問題だ。
うちには全員高齢といっていい猫が5匹もたむろしていて、その中の2匹は障害があり、まる一日でも放っておくのは無理なのだ。

寒いし外出も危ないからうちにいて「北越雪譜」なんかを思い出してみたり。
雪の結晶の沢山の観察図があった。

寒川猫持「猫持秀歌集 猫とみれんと」2015/09/23 13:04

猫が大好きの目医者でうた詠みと自称する寒川猫持先生の歌集。
これを図書館で見たのが最初だったが、手に入れたいと思った時は新本では無くてアマゾンで購入。
それを四ヶ月前に、やはり短歌を作って50年くらいになる友人に貸した。
そばに置いて欲しくて、あげたつもりでいるので今度会った時に持ってきてくれればじゃあ返してもらってもいいかなというくらいの気持ち。
手元にないのが寂しくて今、買った。
私はこれをお守りのようにしているのだな。
猫持先生の数ある秀歌の中で、ただ一つの歌のためにこの一冊を持たずにいられない。

赤い日が仏陀よ海に落ちましたわたしの猫が今死にました

猫が道路で事故に遭って伸びているのをまだ体温もあるうちに抱き上げ、道路の傍に置いたことが数回続いたりした時に都度、既にいたハナの体もこうして抱きかかえる事があるだろうかと考えた。
現実にいつか同じように呆然としながら誰にともなくつぶやくようにわたしの猫の死を伝えることになるのだろうか。
その時の辛い気持ちは猫持先生のこの一首に凝縮されているような気がした。その共感で自分の悲しみが和らぐように願っていた。
そう思っていてずっとそばに置いていたのが、この7月にハナではないがジャムを18歳で看取った時に本当になった。