山形のさくらんぼ2020/07/11 01:21

山形県産のさくらんぼを見ると思い出す人がいる。
その人は人生に耐えがたいものがあって、ある時橋桁から身を投げた。辛うじて命は助かったものの、かかとから落ちたためにひどい重症を負った。
何度も整形外科の手術をしたが、うまく歩くことができなくなった。退院後は元通り一人暮らしを続けたいと願ったけれど、アルコールから離れられない人だったので結局身内のいる故郷に帰ることになり、私を含む友人らは東京駅まで見送った。車椅子で新幹線のホームまで行く秘密のような通路を案内してもらって思いがけない見学をしたことも思い出になった。
それから亡くなるまで毎年季節になると故郷の名産を送ってくれるようになったのよね。
美味しくて大粒で美しいの。
写真のは違います。スーパーで見切り品だったの。でも綺麗よね。

季節感2020/07/07 12:15

年明け辺りから、季節に何の感慨もないま半年を過ぎた。
雨が九州で甚大な被害をもたらしている。梅雨のしっとりした穏やかさを知るのはSNSで紫陽花の写真を見るときだけだ。

イメージに捕らえられてむしろ怖ろしいのはフェリー二。具体化されたイメージ。
ホドロフスキーは?

私の未熟なものと共に。

今日の出来事2020/07/04 21:16

明日が都知事選挙だから今日は実家に泊まれない。
都知事は実は変わらないというのが大勢を占める予想だ。国政も都政も知性や誠実の存在がないまま現状維持され続ける。
熊本では豪雨による災害が起きていることもメモ程度に入れておこう。
写真は実家のクレマチスの花の後。父の白いクレマチスが今年は元気があった。生命力強過ぎのトケイソウに少し遠慮してもらったからね。

イタリアのロックダウン解除2020/05/16 01:18

イタリアは少し前にロックダウンを解除した。
ヴェネツィアは大きな祭りをあと2日を残すところでロックダウンに入ったからその喪失感は一層強く感じさせた。
誰もいないサン・マルコ広場の寂しさを映像で見て信じ難い思いがした。
月並みだけど本当にそう。何処もが同じ喪失感に襲われていたのよね。

social distance2020/04/22 01:40

私の日常がどう変わったかと言えば…人と会わなくなった。
これは積極的に身の安全を望む人の多くが可能な限り取る手立てだから、特別なことじゃない。不安はある。ただ落ち着いていようと思うだけ。
それほど遠くない未来は少し大げさに悲観してみておこう。

来たるべき時としか言いようのないその時がどんなかを考える。非常事態宣言が解除されたのにもかかわらず誰一人姿が見えない。

という、平凡を通り越して想像力が枯れ果てている感じ。

外出禁止が続く中で去年イタリアに行ったことを思う2020/04/20 16:21

考えれば、私がイタリアに行けた2019年という年はいっそう特別なものになった。大体予測できる「今年」がそれなりだったらこれ程の感慨もなかったろうな。
今の状況下で若い人に「あなた方はかわいそうだ」という言葉が適切でないことを一層認識しなければいけない。今の日本の政治経済が若い人にとっていいと私は考えていないから、ついそれが言葉になってしまう。
この事も去年までなら何気ない「あなた方はかわいそうだ」という言葉が年寄りのちょっとした口癖くらいの意味でしかなく、特に気にならなかったかもしれない。だけれども今となってはそれは避けるべき言葉になった。COVID-19によってかつてのものは壊され、次に訪れる日常はこれまでとはまるで違うものだとしたら、無責任に彼らを放り出していますと告白するようなものだからね。
じゃあなにができるのか。自分の身を守ることだけで精一杯になるのは時間の問題だ。

普段ないこと。2020/04/18 19:14

3月25日だったかそれまで実行することしか口にしていなかった日本は渋々オリンピックを諦めた。
諦めたと思うや、直ぐにコロナが最大重要案件になり、4月11日主要都市に非常事態宣言が出された状態で人が半分凍りついた。
繁華街はもちろん、デパート、ショッピングモールなどの営業の休止、時間の短縮などなど。
4月18日現在非常事態宣言は全国へ渡った。
個人事業主は死に体となって飲食店は早くも閉店を決めたという話が次々に湧いてくる。
免疫が作られないと言われている未知の感染症COVID19=コロナは今一番恐ろしい敵だ。
私の場合は昨年3月末に亡くなった母や、この2月に見送ったサンドラのことは慰めだ。外出禁止などがある中で彼らの健康に配慮しなくてはならないのは精神的にも随分しんどいと思う。
サンドラにはとても会いたいけど。::

ひと時2019/08/25 18:44

実家で落ち着いた時間を過ごす感じが好きで、今もそうしている。日が落ちたところだ。
この8月、5日から15日までイタリアに行ってきた。その後の報告会のための文を二つ書かなくてはならないのが、夏休みの宿題のようになっていて辛い。
帰ってきてから参考資料を図書館で漁りまくっている中、和辻哲郎が「イタリア古寺巡礼」を書いているのを知って借りてきた。面白い。
1927年に海外留学生として渡欧した時の私信から手直しして出版されたものだと、高階秀爾の解説にあった。
フィレンツェでファシストの催しに行きあったことも書いていて時代を感じた。ムッソリーニの作ったCinecittàやEURを後に知ってどういう感想を持っただろう。
安い和菓子も可愛いのがある。私には最高の組み合わせなので写真に収める。

新年あけました2019/01/05 22:35

日記帳を放置していた。手にとって中を開いてみたら自分でもどん引きするくらい白かった。
10年日記で5年過ぎたからまだ半分残っている。今年はもう少し頑張って減価償却の努力を。
多少は書いている日もあるので何かを思い出すよすがにはなる。

年末まで、またそこから年が明けて三が日の間さえ休む間がなく政治の悪臭が撒き散らされて憂鬱なばかり。
それは「国母」という単語に代表されるよ。
これほど無力感を感じる新年なんて経験したことがない。
それなりに幸せだったんだろうと思うことにする。

「ヒトラーへの285枚の手紙」2018/12/07 12:36

CS放送を録画した。2016年ドイツ、フランス、イギリス製作
ナチスドイツを背景にした映画は厳しい内容のものでも観てきたが、これは観切ることができなかった。主演はエマ・トンプソン。
冒頭から息苦しくて観終えることができない気がして先に検索して内容を見てしまった。今の日本に起きかけていることと被って、描かれる弾圧の恐怖を近い現実として感じたからかもしれない。
まさに今日もそうだが日本の国会で行われていることには、この映画の前半に工場内で言葉にされた「総統の希望は命令である」がそのまま当てはまる。
現実の生活はただ連綿と続き、はっきりした変化を感じないまま過ぎる。少しの不満は時間が経てば環境に順応して忘れてしまう。
子供や孫が傷つけられて初めて問題を知るのかも。
せめて思考停止にならない凡人でいたい。切なる願い。
「ヒトラーへの285枚の葉書」監督が憂う、日本の危険な保守化 #ヒトラー #ナチス http://bunshun.jp/articles/-/3538