日常には終わりがある2025/02/08 03:12

 昨年から、知り合いの死を受け止めなくてはならぬ場面が多いのだ。もっとも、歳をとれば、そんな機会は増えるに決まっているよと言われたけど。
 死を目前にしている人を、そうと知っている私は、その彼女を見続けているのだ。まだ大丈夫と思いながら見つめているのだ。
 それがしんどいので、目を逸らし社会の出来事を相手にずっと怒っている。起こりっぱなしだ。そこで起こる問題の方へ気持ちを寄せている。
 そうこうするうち、不意打ちのように死の知らせを受け取るのだ。不意打ちには違いない。明日と思っていたら、今日の今だったのだから。
 ある日常は終わり、別の日常はまだ続きがある。